« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

2006年5月21日 (日)

恒例!日帰り温泉

新規開拓!

行って来ました。秋保温泉の某ホテルの日帰り温泉二人旅。
開店と同時に入場するのがステータス。
なにせ休憩所の場所取りが最初の仕事だからです。
お年寄りが多い中、邪魔をしないように尚且つ、ロケーションの良い場所、つまりはあまり人通りが少なく、昼寝が出来るスペースを確保するのが目的だ!

「いらっしゃいませ~」の挨拶も既に後頭部から聞こえるくらいの勢いで場所取りがスタートした。あったあった良い場所!窓際の景色もそこそこのベストプレースだ。隣のテーブルからも距離がある。カメラを持ち合わせていなかったのでその景観はお見せできないが、窓から見る景色の中には新緑の木々の葉と川の流れ、そして小さい滝が見える。この季節の新緑は本当にきれいな緑色をしている。そして小鳥たちのさえずりも聞こえる。

まずは、お茶をいただこう。入浴前には水分の補給が不可欠だと女房が言う。厳密には不可欠とは言わず。「おじゃのまいん」(お茶飲みなさい)と言ったのだが。。。
お茶をぐぃっとひっかけ?この表現間違い?お酒じゃないんだから・・・・・。早速風呂場に急行する。勿論一番乗りを決め込む。

あー、看板が出ている「掃除中ですがよろしければご入浴ください」うーむ。前に来たホテルでは掃除中だから入るなと表示されていたのに比べ、なんと心優しい?まぁ掃除中でもお湯は入ってるんだろうからとそのまま浴場に入る。いたいた掃除担当のおじさん二人も。体を流し、髪を洗って湯船に入った。幾分ぬるっとした肌触りのお湯だ。極楽極楽と思っていたら後から来たお客さん・・露天風呂に行ったようだ。「掃除中だけど大丈夫だから」というような声が聞こえた。でもそのお客さんすぐに戻ってきた。見ると掃除のおじさん、露天風呂の近くをホースで水撒きしているではないか!飛沫が飛んできてゆっくり湯船に入ってられやしない。掃除中だけど・・・の但し書きがあったのでしょうがない。

体も癒えたようだし休憩所に戻ることにした。
お昼になり出店が開店した。おにぎりや焼きそば、チャーハンまである。僕らは持ち込み禁止にもかかわらずおにぎりを持参していた。何か注文しないとまずいかと思い、カキ氷を注文した。昼食時なのにカキ氷?いや、食べたかったのです。単純に。

おなかもふくれると睡魔が襲ってきます。
お決まりの昼寝の時間です。

どれくらい眠っただろうか。目が覚めたら周りの人たちの姿がまばらになっていた。あーそうか、終了時間も間もなくというところだった。僕らも後片付けをして帰路に付くことにした。なかなか良い温泉だった。また来ようと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年5月14日 (日)

実の母 イタリアへ行く

和服で行くという。

日頃から和服を着ているので家族には違和感を感じさせてはいない。近所の人たちも違和感を感じることはない。でも、初めての海外旅行、それもイタリアに行くことになった。ご近所の人たちとの日常の会話から海外旅行に行こうということになったのだと言う。
それにしてもイタリアの街を和服で行脚することはもちろん、13時間ほど飛行機に乗り続けるのも和服のままだ。
浴衣なら楽かも知れないと思ったのは僕だけだろうか?でも彼女は洋服よりも着慣れた和服のほうが断然楽だと言う。

そこまでは良かった。イタリアではベネチアやピサ、そして青の洞窟なるものを絶対見ると言っている。青の洞窟に入るのは運が良くないと無理だと聞いていた。インターネットで見てみると、大きな船で近くまで行き、小船に乗り移って小さい洞窟の入り口に入るのだが、その際に見物客は全員、仰向けになって頭をぶつけないような格好を取ることになるらしい。母に言った。「和服では無理だ!」と。
本人、涼しい顔をして大丈夫だと言っている。でもせっかく現地まで言って、「あなたは乗せられない」なんて言われそうな気がしたので、いわゆる「もんぺ」を持参するように勧めた。

案の定、「もんぺ」をはいて小船に乗り移り、全員足を開き押し重なるように寝そべり、洞窟に入っていったそうな。「そこまでして、和服か!」と思うと共に「あきれた」
Itary ところが現地イタリアでは和服姿が珍しいらしく、街のあちらこちらで一緒に写真を撮らせてくれと現地の若いお姉さんやおじさんに声を掛けられたようだ。
このツアーが実現できたのも、僕の従妹がツアーコンダクターをやっていて添乗してくれたお陰だ。通訳もやってくれていたので何の不自由も無かったようだ。

初めての海外、そしてイタリアはとても良い所だったと感想を述べていた。

ところで、写真に写っているマクドナルド!「黒」です。黒いマック始めて見ました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年5月 9日 (火)

義理の母 オーストラリアへ行く

「オーストラリアでモンスター食べた」と義理の母が言う。

「怪物」のように大きいものだろうか?それともこの世のものでは無い何ものか?
いったい何を食べたんだろうと考えていた。

「あの、ほら、あれ」と言われても何のことかさっぱり見当が付かない。
「がにがに」とも言っている。がに?蟹か?蟹に似たモンスターか?

しばらくして女房が、「ロブスター」じゃないの?
さすが親子、察しの早いこと。
これで一連の話が繋がった。

ところでそのモンスター。おいしかったのか?聞くのを忘れた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年5月 8日 (月)

シミュレーター ではないのだ!

宙に浮いた。

飛んでいる!飛行している。非行ではないぞ!
とうとう自分の操縦で空を飛んだ。
Honoluluair1  セスナを操縦した。

 あー。緊張した。
 フライトシミュレーターのそれとまるで違う感覚を味わった。

 「はい、操縦桿を引いてください」
 教官の指示に素直に従う。
 機体は大空へ向かって飛び立った。

Honoluluair2  なんという景色だろう。何度となくここを訪れてはいたがこんな風景は初めての景観だ。
ワイキキの街を眼下に見ながら、更には遠く紺碧の海の広がりを見ることが出来た。

操縦桿を静かに右に回すと、機体は東に進路を変えた。
ハナウマ湾を左に見ながら機体は少し左に旋回する。
次のポイントはマカプゥ岬だ。

Honoluluair21  マカプゥ岬を回りコオラウ山脈の尾根に向かいながら山と山の切れ目をワイキキ方面に進入する。

 遠く街並みが見えてきた。アロハタワーを確認した後、右に旋回し最終アプローチに向かう。前方には真珠湾が見えている。

 「右の滑走路に着陸して下さい」

「了解しました」と言うもののランディングは離陸の
何十倍も難しいのは分かっている。教官は涼しい
顔(実際は見えなかったが)でそんなことを言う。

Honoluluair22  眼下にホノルル空港を見ながら左に大きく旋回し着陸態勢に入った。

緊張。。

 フラップなどの操作は教官が行っているので、ランディング時の忙しい操作は無かったのですんなり着陸できた。

 いやー。うれしいの一言。後部座席では女房が写真を取り続けてくれた。

Honoluluair23 これが、約45分間操縦したセスナです。

僕にとって最高の一日でした。

あーまた、乗りてぇー。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年5月 4日 (木)

友人の挙式に参列

もうひとつのイベント。

Wed1 そう、ここで友人の挙式に参列したのです。

女房ははるばる日本から「きもの」を持参した。アロハの原型ともなる絹織物である。この教会までタクシーで移動。友人とその家族はリムジンでご到着のようだ。神父さまの前で新婦は緊張気味!

挙式は無事終了し晴れて夫婦が誕生した。

Wed2

女房はタクシーのお兄さんの言うとおり、ダウンタウンに向かうオフィス街を徒歩で「きもの」を着ての行脚となった。とても観光客の装いではない格好に現地の人たちの目にどんな風に映ったでしょう?僕はといえば「クラシックアロハ」を着用し、そのさまにならない格好を露呈していた。はずかしい。

Alohat アロハタワーまで歩き、ここで昼食。

ついでに観光客らしく記念写真を撮った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年5月 3日 (水)

セーリング

何度ここに訪れただろう。

紺碧の海に囲まれたこの島々で気が付けばセーリングをしたことが無かった。

Sailing_1  まぁ、ここでヨットに乗らなくても…なんてあまり気にも止めていなかった。そんな時、またも女房がヨットに乗りたいと言い出した。そうだな常夏と言いながらちょっと肌寒いけれど、良い風が吹いている。よし、出港だ!という訳でエメラルドグリーンの海を走り出した。暫く行くと海亀を見た。さらに行くと水深が深くなったのだろう、群青色の海に変化した。

Honolulusea1_1

昔、この海に赤城、加賀、蒼龍、飛龍などが集結したのだと感慨にふけっていた。まぁ、遠い昔のことである。今はこんなに平和な島になって良かった。

Honolulusea2_1 かなり沖まで来た。風が次第に強くなり波高も1.5メートル位になった。ジャイビングして進路をかえた。帰港だ。

いつかは自分のヨットでここに来ようと夢を見たのも事実だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2006年5月 1日 (月)

ついてない!

朝4時だ。

隣の部屋は夜中からテレビのボリューム一杯にして眠れやしない。イングリッシュの会話まで聞こえる始末!時差ボケが治ったかと思ったら次は寝不足になった。

翌朝、旅行会社に事情を話したら連絡してくれた。でも結局拉致が空かずフロントに行って「ルームチェンジプリーズ」と言ったら「ホアイ?」だと。

それ以上の英語は話せる訳もなく困っていたら、ここに25年暮らしているというおじさんに助けられた。難無くルームチェンジができた。そのおじさん、ここに住めばいい。と言ってくれたが、そんな簡単な事じゃないよね。

早速18階から20階に引っ越しだ。多少部屋からの眺めが良くなった。

おじさんが言うには、ホテルへのクレームは強く、遠慮しないで言うことが必要・だって!英語話せれば苦労はないか!と毎回思いながらも、駅前留学には行った試しがない。

それそろ考えようか…。と思った。まぁ、いつもの事だけど。でも、この歳で英語話せるようになるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »